「全国通訳案内士」に辿り着いた私の旅
人生とは「魂の旅」であると、いつの日からか、私はそう思うようになりました。人は誰もが「魂の旅人」なのだと——。旅は人を成長させてくれます。旅を通して学ぶことは多いのです。私の「魂の旅」はとうとう「通訳ガイド」というフィールドに辿り着きました。なんと、ここに足を踏み入れるまでに62年という歳月を要してしまいました。しかし、その道中、学んだことも多かったのではないか、と思っています。この新しいフィールドで、その「学び」を最大限に活かして誰かの役に立てるなら、これに勝る喜びはきっとないだろうと思っております。
私はこれまでの人生のおよそ半分をアメリカで過ごしてまいりました。それを言うと10人中9人は「それじゃ、英語はペラペラなんでしょうね」と返してきます。そう返さなかった人は、まるで私に関心がなかったか、あるいは外国語習得の難しさを直接体験した人かのどちらかでした。アメリカで生活するというだけの話、使う英語の言い回しは限られています。その上、日本人コミュニティーが心地よい環境を与えてくれたりもします。英語を磨く機会は想像以上に少ないのです。ましてや、私は外交官や大企業の駐在員のようなエリートではありません。仕事はほとんど肉体労働で、なんとかサバイバルしてきた部類の人間でした。自分の英語をどうやってブラッシュアップしようか?在米期間が長くなればなるほど、そんな焦りが、まるで債務のように心に重くのしかかかるのを感じました。いったい何を動機に英語を磨けばよいのだろう。
「日本人なんだから、日本について英語で紹介できるようになればいいんじゃね?」
ある日、そんなインスピレーションが、突然、稲妻の如く私に下りました。それは、もう10年も前のことになるでしょうか。ネイティブのように喋れなくとも、しゃべる内容さえしっかりと備えてあれば、聞く人は聞いてくれるはずだ、と思ったのです。その時、日本には「通訳ガイド」という国家資格があることを知り、「いつの日か挑戦できれば——。」と思っていました。
その計画が具体化するのには、さらに数年の歳月がかかりました。当時、高齢の母が日本で独居生活をしておりましたから、私は、母を助けるために日本に帰国する機会を模索しておりました。末の息子がハイスクールを卒業したら、と考えている矢先にパンデミックが起こり、一時帰国さえも難しい状況になってしまいました。パンデミックが収まったら必ず帰国しようと決意をするも、その渦中で母は他界してしまったのです。2022年2月、私は母のためではなく母の残した遺産を管理するために帰国せざるを得なくなったのです。
2023年。遺産相続の手続きが全て終了し、母から相続した家の中でポツンと一人、「さて、これからどうしょうか」ということになりました。幸い、パンデミックによる渡航制限は2022年の10月より解除となって、日米の往復はほぼ制限なくできるようになっていました。この時、まだ、アメリカに仕事を残していたので、一旦アメリカに戻り、アメリカから「全国通訳案内士」の受験申込をいたしました。そして、受験に合わせて日本に再び入国したわけですが、もう、この時、これからは「通訳ガイド」になって日米を往復しながら生きていこう、と心に決めていました。
しかしながら、2023年の受験では「一般常識」の一問に泣き、あえなく一次敗退となってしまいました。免除特権があるので、無論、翌年も挑戦する決意は変わらずでしたが、一瞬にして目の前のゴールポストが一年先へと移動してしまったものですから、また、「さあ、どうしよう」ということになったわけです。それなら、この機会に「英検1級」を受けてみようと思い立ち、勉強を始めました。「ガイド試験」の口述試験対策にもなるだろうし、何よりも一年後の再受験までモチベーションを保つことができるだろうと考えたからです。結果的には一次二次とも2度目の受験でなんとか合格できました。
そして、おかげさまで、2024年度の「全国通訳案内士試験」には、無事に合格することができました。前年の失敗がバネとなって「英検1級」も取得でき、英検の勉強を通して、ガイド試験の口述試験のための力もつけることができたと思っております。晴れて「全国通訳案内士」となった今、これからも「七転び八起き」の精神で精進していく決意です。
「日本の旅」が、日本を訪れてくれるすべての方々の、それぞれの「魂の旅」の一部となり得ますよう、通訳ガイドとして力を尽くして「日本」を紹介してゆきたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。
全国通訳案内士 Wasabiro

